鉄「史」 -製鋼 その2-

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製鋼

 前回の続き。

高炉

 送風動力に水車が使われ、炉内温度が高温になってくると、出来上がる銑鉄(鋳鉄)は溶融状態になる。
  ※ 鋳鉄の融点:約1200℃

 炉の上から鉄鉱石など原料を入れ、炉の下から銑鉄が流れ出る型(タイプ)の溶鉱炉すなわち高炉が造られるようになった。
 投入される原料は上昇してくるガス・熱で効率よく還元・溶解(熔解)されて銑鉄になる。
 その原型は14-15世紀頃、ヨーロッパ・ライン川支流で誕生したとされる。

 燃料が木炭から石炭・コークスへと変わり、送風動力も機械化が進んで、火力が強くなるにつれて炉の高さもだんだん高くなった。
 今では高さ50-100m。

 高炉では溶融状態の銑鉄が炉の下から流れ出るので、一回一回炉を解体して取り出す必要がない。
 むしろ一度火を入れたら基本的に止めない。

 銑鉄は大量生産できるようになった。
 一方、鋼鉄は、18世紀末、銑鉄を反射炉に入れ、パドル法(攪拌法)にて作られるようになったが、労力、費用をかけた割には生産量が少なかった。

 鋼鉄の大量生産は、1856年、英国のヘンリー・ベッセマーが発明した転炉[法]によって道が拓かれた。
 ベッセマーは『アシモフの科学者伝(アイザック・アシモフ)』に「鋼鉄時代の創始者」として紹介されている。

 高炉で作られた銑鉄は溶融状態のまま洋ナシのような形をした転炉に移され、その炉内に吹き込まれる空気(中の酸素)によって短時間で炭素除去(脱炭)される。
 しかも空気は銑鉄を冷やすどころか銑鉄中の炭素(などの不純物)を燃焼させて熱を出すため、燃料を必要としない。

 ちょうど同じ頃、日本ではサムライが大砲を鋳造すべく「新しい製鉄」に取り組んでいた。
 苦戦の挙句、鉄鉱石から鉄を製錬すべく[洋式]高炉が建造されることになった。場所は岩手県釜石。
  1857年 岩手県釜石市 大橋高炉
  1858年 岩手県釜石市 橋野[仮]高炉 
  1859年 岩手県遠野市 佐比内高炉
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 実は大橋のほうが橋野よりも早かった。

 実は1854年、薩摩藩でも高炉が造られていた。
  ※ 鹿児島県鹿児島市 集成館熔鉱炉

 だが、鉄鉱石からの製錬に強く拘(こだわ)ったのが盛岡藩(南部藩)の大島高任で、
 釜石一帯は日本最大の鉄鉱床。
 高炉による製鉄は橋野鉄鉱山にて本格化していった。
 ということで日本近代製鉄の始まりは釜石。

 なお、1859年、箱館でも高炉が造られている。
  ※ 北海道函館市恵山 古武井熔鉱炉 ・・・ 試作

 釜石の製鉄は順風満帆というわけではなく、
 1880年、鈴子(現・釜石駅の所在地)に官営釜石製鉄所が造られ、大橋との間に鉱山鉄道が敷かれたが、
 1883年、廃止。
 民間に払い下げられ、
 1886 / 1887年、田中製鉄所となってから軌道に乗り始めた。
 当初は木炭高炉だったが、
 1894年、コークス高炉初稼動。
 田中製鉄所の技術者は、1901年、福岡県北九州に造られた官営八幡製鉄所の操業にも貢献した。

 ついでながら、幕末の長崎製鉄所と横須賀製鉄所は、反射炉・高炉で鉄を生産する所というより汽船関連の機械製作などが主で、のち造船所に改称された。

製鋼炉 -転炉、平炉-

 再び転炉の話。
 ベッセマー転炉は発明当初、期待ハズレに終わった---。
 一口に鉄鉱石といっても産地によって成分が異なるが、ヨーロッパ産の鉄鉱石の多くはリン(燐)を含んでいて、ベッセマー転炉に適していなかった。
 リンを含まない鉄鉱石であれば問題ないことをベッセマー自ら実証してみせたが、転炉発明から鋼鉄の大量生産まで年月を要した。

 依然リンを除去できるパドル法による製鋼が優勢だったが、じきに平炉[法](ジーメンス-マルタン法)が発明された。
  ※ 1864年 実用化
    ジーメンス兄弟、マルタン父子が発明

 熔解室の下に設けた蓄熱室に燃焼で生じた廃ガスを回収する平炉では、従来の反射炉よりも炉内温度を高くすることができた。
 炭素含有量の低い(=融点が高い)錬鉄も溶融できるので、銑鉄(鋳鉄)に炭素含有量の低い屑鉄(スクラップ鉄)を混ぜて溶(熔)かし、
 また、(転炉ほど効率良くないが、)空気吹き込みによって、
 良質な鋼鉄を作ることができた。

 リン除去(脱リン)に関しては、炉の内壁に塩基性のレンガを使うことで解決に至った。
 ちょっと複雑なので省かせてもらうとして、
 転炉でリンを含む鉄鉱石が使えるようになった。
 この塩基性転炉は、1879年までに英国のトーマスによって発明されたものだが、英国よりもドイツ[帝国] Germanyで普及していった。
  ※ 塩基性転炉=トーマス転炉
    酸性転炉=ベッセマー転炉
    トーマス転炉は神奈川県川崎の等々力に展示されている。

 てっきりずっと鋼鉄の大量生産は転炉で行われてきたと思っていたが、20世紀に入ってから半世紀以上、製鋼の主流は転炉ではなく屑鉄を使える平炉だった。

 酸素発生装置が改良されて、[純]酸素吹き込み転炉が開発されてから、転炉が優勢になっていった、とのこと。
  ※ 1952 / 1953年 Austria [純]酸素上吹き転炉(LD転炉)開発
    LD:リンツ Linz、ドナビッツ Donawitzの頭文字
    上吹きが炉の上から
    底吹きが炉の下から
    上底吹きが双方から 

 現在、日本における製鋼は高炉・転炉と電気炉(電炉)の2つで、平炉はみられなくなったが、屑鉄の利用という観点からは電炉に置き換わったと言える。

まとめ

 現在、日本の高炉メーカー(銑鋼一貫メーカー)は、日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼所。

  •  北海道室蘭市
  •  茨城県鹿嶋市
  •  千葉県千葉市 ・・・ JFE
  •  千葉県君津市
  •  神奈川県川崎市扇島 ・・・ JFE
  •  愛知県東海市
  •  兵庫県加古川市 ・・・ 神戸製鋼
  •  和歌山県和歌山市
  •  岡山県倉敷市水島 ・・・ JFE
  •  広島県福山市 ・・・ JFE
  •  広島県呉市
     今年(2020年)、閉鎖発表。2023年まで
  •  福岡県北九州市
  •  大分県大分市

 以上13ヶ所に高炉がある。
  ※ 兵庫県神戸市の高炉は2017年停止

 初め鉄鉱床の近く・釜石に造られた製鉄所は、炭田(石炭採掘地)の近く・北九州八幡に造られ、その後、原料の輸入増加に伴い臨海部に造られた。

 18世紀後半から19世紀の製鉄は産業革命始まりの地・英国 U.K.が主導し、製鋼もU.K.で大量生産の道が拓かれたが、
 19世紀末頃から20世紀の製鉄・製鋼は、
 U.K.よりもGermany
 ヨーロッパよりも米国 U.S.A.
という構図に変わった。

 20世紀後半、鉄鋼生産量の大半は日米欧。

 21世紀に入って早20年経った今はChinaが鉄鋼生産量の大半を占めるようになった。

 おかげで供給過剰。
 加えて世界中ウイルス禍で需要不足。

 世界的な「脱炭素」圧力。

 鉄鋼に負けないプラスチック(合成樹脂)もある。

 今後どう変わっていくのか、どう変えていくのか……。

-参考-

 日本鉄鋼連盟(www.jisf.or.jp/
 鉄から読む日本の歴史 / 窪田蔵郎 / 2003 / 講談社
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