【鎌倉エリア】 大蔵(大倉)/荏柄 ぶらり街歩き

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 2023年は兎(うさぎ)どし - うさちゃん - 宇佐神宮 八幡様 - 鎌倉 鶴岡八幡宮

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大蔵(大倉)地区

 ということで鶴岡八幡宮の続き。

 鶴岡八幡宮境内の東、鎌倉国宝館傍から境外へ出たところに畠山重忠邸址の碑があり、道なりにカクカク歩いていくと大蔵(大倉)と呼ばれる地区に至る。

 大倉と記されていたり、大蔵と記されていたり、まちまちだが、以下大蔵(大倉)としておこう。

 赤い丸ポストが見えて、大蔵(大倉)幕府跡の碑が現れる。清泉小学校の西隅。

 住所は雪ノ下3丁目。最寄のバス停は岐れ道。

 上の写真は2020年初春。自販機の並んでいる店は、2020年秋、「古民家イタリアン かど屋」に変わったようです。

 一口に鎌倉幕府といっても3つあって、最初の鎌倉幕府が大蔵(大倉)幕府 [1180-1225]。
 大倉(大倉)御所 + 役所(侍所、公文所(のち政所まんどころ)、問注所)。
  ※ 問注所(いわゆる裁判所)は、のちに今小路(鎌倉駅西傍)へ移転
 大倉(大倉)御所は鎌倉殿(源頼朝・頼家・実朝)の邸宅。
 1192(いいくに)の前年、大火で炎上したが再建された(八幡宮も)。

 後の2つ、宇都宮辻子幕府 [1225-1236]、若宮大路幕府 [1236-1333]は若宮大路の東。

 東御門みかど、(今日住所として使われている)西御門は大蔵(大倉)幕府の東門、西門。各々門跡の碑がある。
 ただし、大蔵(大倉)幕府の正確な範囲は未確定とのこと。

 界隈ぐるりと回遊。

 の・ど・か
 か・ど・や

 大蔵頼朝商店会HP(ookura-yoritomo.com/

  •  鶴岡八幡宮 - 大蔵(大倉)幕府跡
  •  大蔵(大倉)幕府跡 - 法華堂跡

法華堂跡

 大蔵(大倉)幕府の北の山は大蔵山(大倉山)。源頼朝の墓・法華堂跡がある。

現在地=白旗神社

 上の現在地は、より正確には隣の「よりとも児童遊園」の前。

 白旗神社と聞いて(個人的に)真っ先に思い浮かぶのは藤沢の白旗神社だが、鎌倉の白旗神社はココ。
 鶴岡八幡宮境内にも白旗神社があるので少々紛らわしい。

 法華堂跡も結構紛らわしい。
 一般には階段上の「源頼朝墓」が法華堂跡。
 だが、階段上り口の白旗神社も法華堂跡。
 源頼朝が信仰していた仏像(観音像)を安置していた持仏堂が始まりで、頼朝没後、持仏堂に葬られて法華堂(墳墓堂)となり、今は白旗神社。

 階段を上ると「源頼朝墓」。供養墓。墓域は江戸時代後期、薩摩藩が整備したとのこと。

 源頼朝享年53。
 階段も53段。

 ひとまず一帯が法華堂跡ということで……。

 さらに紛らわしいのは、『法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)』という案内板が立っていて、「北条義時墓」はすぐ隣にあるのかと思いきや少し離れた所にある。地図に「大江広元墓」と書いてあるほう。
 「源頼朝墓」から「大江広元墓」へ続く山道もあるが、
 いったん階段下りて隣の階段上りなおしたほうが無難。

 下は『鎌倉殿の13人』関連人物の亡くなられた年の表。

没年鎌倉殿+13人+
1199(源頼朝)
1200梶原景時、三浦義澄、安達盛長
1203比企能員
1204(源頼家)
1205(畠山重忠)、(平賀朝雅)
1208中原親能
1213和田義盛
1215北条時政
1219(源実朝)
1221三善康信
1224北条義時
1225大江広元、(北条政子)
1239(三浦義村)

 承久の乱は1221年。

 13人のうち足立遠元、二階堂行政、八田知家は生没年不詳だが、
 残ったのは大江広元でした。

 大蔵(大倉)幕府時代の主人公は北条義時以上に姉の政子さまかな。
 政子さまがいなかったら鎌倉時代もその後の武家の世も長く続かず、海外列強の国々に抗しきれなかったかもしれない。

 北条義時の子・泰時(3代目執権)は貞永式目(御成敗式目)制定で名を残した。武家の最初の法典。

 三浦義村の子・泰村は北条氏と対立して、1247年、滅んだ(宝治合戦)。弟の光村が反執権強硬派だった。
 時の執権は北条泰時の孫・時頼(5代目)。

 三浦泰村一族・郎党が最後に集結したところが法華堂。現・白旗神社。
 その中には毛利季光(すえみつ)一族も。毛利季光は大江広元の子、三浦泰村の妹婿。
 500余人一斉に自害して果てた。

 「北条義時墓」(北条義時法華堂跡)の奥に三浦泰村一族のやぐら(横穴・墓所)があり、
 上に大江広元、長州毛利氏の祖・毛利季光、薩摩島津氏の祖・島津忠久の墓がある。
  ※ 島津忠久は伝説上(島津氏の系図上)源頼朝の子。実際には無理があるようで諸説あり
 いずれも江戸時代後期、長州藩および薩摩藩が整備した供養墓。

 下の写真は「源頼朝墓」(源頼朝法華堂跡)から。

 大蔵(大倉)地区の向こうは祇園山方面。地図を見ると「北条高時腹切やぐら」。
 こちらも凄まじい。

 強烈な義が感じられる鎌倉時代は、新しい時代だが、飛鳥時代以前のヤマト(大和)復古的な時代でもあるのかなと思う。

 鎌倉の大まかな歴史 & 源氏系図

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荏柄天神社

 大蔵(大倉)地区の東、二階堂方面、荏柄(えがら)天神社(www.tenjinsha.com/)へ。
 最寄のバス停は天神前。

  •  大蔵(大倉)幕府跡 - 荏柄天神社 - 鎌倉宮(大塔宮)

 平安時代中頃(1104年)創建とされているので、鎌倉幕府が開かれる前から鎮座している。
 大蔵(大倉)幕府の鬼門を守護する神社として崇められた。

 日本三天神の一。三社目は山口 防府天満宮など日本各地いろいろあるが、二社は福岡 太宰府天満宮、京都 北野天満宮で確定している。

 天満宮と言えば梅。

2月初旬

 境内には大イチョウもある。
 その脇から参道。

 梅ヶ枝餅が恋しくなる。

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