【府中】 国府について学ぶ -武蔵国府-

JAPAN(日本)TIME(歴史)

 埼玉、東京および神奈川の東、川崎と横浜の一部が昔の武蔵(むさし)国。
 神奈川の多摩丘陵から西が昔の相模(さがみ)国。

 日本の昔(古代)の行政区分は、国 - 郡 - 郷。
 今は都道府県 - 市、郡および郡 - 町、村。
 郡の存在感が薄れてしまったが、昔は国と郡に国衙(こくが)、郡衙(ぐんが)という役所(群)が置かれていた。
 国衙の役所群の中心施設が国庁。
 郡衙の役所群の中心施設が郡庁。

 国衙を含む一帯は国府という「都」を形成し、
 武蔵の国府は府中にあった。「国府の中」で府中。

 相模の国府は謎めいているが、途中から大磯(余綾よろぎ)、その前は平塚(大住)にあったとされている。
 日本全国、古代の国府の所在地と今日の都道府県庁所在地が結構違っていて面白い。

 武蔵の府中では遺跡が発掘されているので相模よりも全貌を把握しやすいが、国府-国衙-国庁について混乱を来たすかもしれないので、まとめておいた。

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武蔵国府 [武蔵]国衙跡

 府中の大國魂神社を含む広域が武蔵国府跡。
 国府の中枢、役所群が並んでいた一帯が国衙跡で、大國魂神社とその東。
 国衙の範囲は調査の結果、南北約300m、東西約200mとほぼ確定済みで、その東西の中央あたりに復元・整備されている地区(武蔵国府跡 国衙地区)がある。大國魂神社から東に出たところ。赤い柱が並んでいる。

左が遺構展示館。右下に見える道路の丸も柱跡

 (未発掘箇所もあるので)国庁とは断定されていないが、国庁の可能性も考えられる遺構とのこと。
 国庁の「正殿」に匹敵する大型建物跡が見つかった、と説明されている。

 遺構展示館の中にあったパネル。

 『武蔵国の中心』。ここが国庁跡だと思って良さそう。

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武蔵国府 国司館跡

 大國魂神社の南西、鳥居をくぐって府中街道挟んだところに武蔵国府 国司館(こくしのたち)の復元・整備地区(武蔵国府 国司館地区)がある。
 JR府中本町駅の前。2018年OPEN。
 以前来た時はなかったけど何があったかな?と調べてみたらイトーヨーカドーの駐車場だったようだ。隣のROUND1がイトーヨーカドー跡。

 都会の駅前は年々ごちゃごちゃしていくけど、すがすがしさを感じる駅前。

国司館跡復元模型

 国司は国府・国衙に勤めていた役人。郡の場合、郡司。
 「ヤマト(大和)の国」の時代(古墳時代~飛鳥・白鳳時代)は国造が国を司っていたが、
 律令国家成立後、奈良~平安時代は国司。ただし、国司は1人ではなく複数人いたとされる。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)。
 国司、その家族の住居、いわゆる官舎が国司館で、奈良時代の国司館跡がこちら。

国司館 主屋(正殿)跡

 地図を見ると平安時代の国司館跡は府中本町駅の向こう側(西側)。
 国司館は役所ではなく、国衙の外、国府の中。
 地図に武蔵国府の推定範囲が記されていた(下図の点線)。広域。東西約2.2km、南北最大1.8km。

武蔵国府 国司館地区にあったパネルから

 大國魂神社は武蔵国府跡に違いないが、[武蔵]国衙跡。
 史跡の国衙地区がほぼ国庁跡。

 また、こちらの国司館跡と同じ場所にはのちのち府中御殿が建てられた。
 江戸時代初期の頃、江戸~駿府(静岡)に建てられた徳川将軍の御殿の1つ。
 他に川崎の小杉御殿、平塚の中原御殿、静岡の御殿場などがある。

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