宗谷海峡、樺太(サハリン)のページ

LAND(風土)

 北海道宗谷岬から約43kmで樺太(サハリン)最南端の西能登呂岬(クリリオン岬)。45°54′N。
 宗谷岬の北に弁天島があるように西能登呂岬の南に二丈岩がある。宗谷岬から約37km。
 豆知識です。

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地理・歴史 

 樺太の面積は北海道[島]と同じくらい(少し小さい)。76400km2

 宗谷岬~樺太南部の宗谷海峡と樺太北部~大陸の間宮(まみや)海峡は水深100m未満で、旧石器時代の氷期は地続きだった。
  ※ 約13000年前 最終氷期(ビュルム氷期)明け

GMTで描画

 津軽海峡は水深100m以上。

 宗谷海峡について10m等深線を描画してみると

 海面50-60m程低下で地続きになる。

 縄文時代、宗谷海峡ができて南北の往来ができなくなった。
 縄文中期・後期頃、礼文島・利尻島を一拠点とした海洋ネットワークが存在していたようで、最北の「海の民」。

 対馬海流 - 宗谷暖流が日本海を北へ流れている。

 今年(2022年)4月、北海道知床半島沖で不幸な船の事故があった。
 知床半島の周りは深い海。捜索が難航した。

 宗谷海峡を流れる宗谷暖流の他、樺太東岸の寒流(東樺太海流)が知床まで南下している。
  ※ マリンネット北海道 - 北海道を取り囲む海(www.hro.or.jp/list/fisheries/marine/o7u1kr000000dgps.html)など参照
 逆に知床から樺太南岸まで流された遭難者もいた。事故から2ヶ月後の6月にロシアから通報。つい先日も発見の報告。

 続縄文時代の樺太は、鈴谷(すずや、すすや)文化、南サハリン文化、北サハリン文化といった名で呼ばれているようだが、これら樺太の文化と道北の続縄文文化が接触・交流してオホーツク文化が生まれたと考えられている。

 その後、樺太は南部でアイヌ人(樺太アイヌ)、北部でニブフ(ギリヤーク)が暮らし、
 他にもウィルタなどの北方民族が混住。
 ちなみにサハリンはロシア語ではなく北方民族の言語由来とのこと。

 平穏な時代かと思いきや13世紀、樺太アイヌとニブフが争って元(モンゴル帝国)が介入・派兵している(『元史』)。

 同じ頃、今に至るアイヌ文化が確立したとされる。
 道東や道南から道北へ拡がっていった文化圏、
 さらに道北から樺太へ進出した人々が
 アイヌ人(の祖先)と重なる。

近世以降

 17-18世紀 日本人 樺太渡航

 1806年 ロシア人 樺太襲撃
 1807年 ロシア人 千島襲撃

 日本人 樺太奥地探検
  1808年に松田伝十郎と間宮林蔵が探検。樺太は島であると確信。
  1809年、もう一度間宮林蔵が探検。海峡を発見(間宮海峡)、樺太は島であると確認。 

 1855年- 南千島 日本領、北千島 ロシア領 ・・・ 日露通好条約
  樺太は国境未画定、混住のまま。

 1875年- 千島列島全島 日本領、樺太 ロシア領 ・・・ 樺太千島交換条約
  樺太はロシア人流刑者の島に化していった。

 1904-1905年 日露戦争 - ポーツマス講和条約
 1905-1945年 南樺太(北緯50°以南) 日本領(日本統治時代)
  この間、鉄道が敷かれた。主な産業は水産、林業、製紙、石炭など。

  この間、ロシア革命(ロシアからソビエトへ)。日本 シベリア出兵。
  1920年 尼港にこう事件
   尼港 = 北樺太対岸アムール川河口の町。現・ニコラエフスク・ナ・アムーレ。
  1920-1925年 日本が北樺太実効支配
  1925年 日ソ基本条約 = 日本-ソビエト国交樹立(日本がソビエト承認)
   北樺太 ソビエト領。日本は北樺太の石油開発の利権取得。

 1945年8月 第二次世界大戦末期、ソビエト侵攻

 1951年 日本 南樺太放棄 ・・・ サン・フランシスコ講和条約
 (一部の)地図帳で南樺太と千島列島が未確定扱いになっているのは、ソビエトがサン・フランシスコ講和条約に調印しなかったため。

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樺太(サハリン)各地

緑点線は北緯50°

 ・ コルサコフ 大泊(おおどまり)
  アニワ湾(亜庭湾)に面する樺太の玄関口。湾の東は中知床岬。
  日本統治時代、稚内との間に鉄道連絡船「稚泊航路」があった。ソビエト解体後、フェリーで行けるようになったが、2019年から休止状態。

 ・ ネベリスク 本斗
  樺太西海岸、西能登呂岬の北方。稚内との間に鉄道連絡船「稚斗航路」があった。

 ・ モネロン島 海馬島
  無人島。日本統治時代は有人島。ネベリスクなどから船で行き来できた。

 ・ ユジノ・サハリンスク 豊原
  樺太最大の都市。人口約20万人。日本統治時代、樺太庁所在地。
  東に鈴谷岳(チェーホフ山)。標高1045m。

 ・ ホルムスク 真岡(まおか)
  一時期、樺太第二の人口だったが、今はコルサコフに次いで第三の都市(人口3万人未満)。
  バム鉄道(バイカル・アムール鉄道)が走るワニノとの間に鉄道連絡船。

 ・ ポロナイスク 敷香(しすか)
  テルペニヤ湾(多来加湾)に面する町。湾の東は北知床岬。

 ・ ウグレゴルスク 恵須取(えすとる)
  ポロナイスクの反対側(西海岸)。

 ・ アレクサンドロフスク・サハリンスキー
  19世紀後半、ロシア人流刑者が続々上陸。かつて北樺太の中心都市。日本名は亜港。

 ・ ノグリキ
  北の鉄道終点。

 ・ オハ
  樺太最北、北樺太最大の都市。人口約2万人。
  南のネフチェゴルスクという町が1995年の大地震で壊滅した。

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 サハリン2
  ノグリキ~オハ沖合の石油・天然ガス鉱区。
  2008年、全長約800kmの陸上パイプライン完成。
  南端プリゴロドノエ(コルサコフの東)にLNGプラント。ロシア初の天然ガス液化プラント。
  ここからLNGタンカーで積み出し。

  ロシアへの経済制裁は長期間続いて、
  日本はロシアの非友好国になった。

  でも天然ガスの輸出入は続く。
  ロシアは日本のLNG輸入量の1割弱。オーストラリア、マレーシア、カタールの次。

  賛否あるが、
  海峡挟んですぐ隣の島なのに関係閉ざして現地のことは分かりませんという状態は好ましくない。
  歴史的つながりもあって日本の関与は長い。
  オイルマネーで潤ってしまうと面倒なことになりかねないが、サハリン2については欧米企業の撤退とは別で特殊。無理でないなら日本側から撤退を申し入れる必要はないだろう。

  サハリン2の隣がサハリン1。
  サハリン3、サハリン4、サハリン5、サハリン6、……もある。

Link、

  •  全国樺太連盟(kabaren.org/
     2021年解散。HP(ホームページ)は残っている。樺太略史、樺太全図(郡別地図)など
     資料アーカイブの郡別地図は1942年再編の後の1市4支庁
      豊原市、豊原支庁、真岡支庁、恵須取支庁、敷香支庁
  •  カムイミンタラ … 樺太地図(kam-r.sub.jp/ainu/karatizu.html
     地図、写真などコンテンツ盛り沢山のサイト
  •  JR樺太旅客鉄道株式会社(jr-karafuto.jimdofree.com/) / 樺太庁陸地測量部(pref-karafuto.net/Index.html
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