【エリアGOoo】 対馬(Tsushima)

JAPAN(日本)

 対馬(つしま)のページ。

 福岡県ではなく長崎県。
 対馬海峡に浮かぶ国境の島。
 古来防人(さきもり)の島。  

 2004年に6町合併。
 南から下県(しもあがた)郡厳原町、美津島町、豊玉町、上県(かみあがた)郡峰町、上県町、上対馬町。

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厳原

 対馬最大の町・厳原(いづはら)。
 対馬の玄関口。
 2020年、厳原港新国内ターミナルOPEN。

 ・ 観光情報館 ふれあい処つしま
 ・ 対馬博物館(tsushimamuseum.jp/)
   対馬歴史民俗資料館跡に2022年4月OPEN
 ・ 対馬朝鮮通信使歴史館
   2021年OPEN
 ・ 金城跡
   対馬[府中]藩藩主・宗(そう)氏の居城
 ・ 万松院(ばんしょういん)
   宗氏の菩提寺
 ・ 厳原八幡宮
 ・ お船江跡
 ・
 ・
 ・ 

  •  厳原市街 - 清水山/清水山城跡 - 有明山

 矢立(やたて)山
  対馬最高峰。標高649m。

 龍良山(竜良山、たてらさん)
  天道信仰の聖地。禁足地だったため、まとまった原始林が残っている。

  •  鮎もどし自然公園 - 龍良山

 豆酘(つつ)崎
  対馬南端

 西海岸
  椎根など石屋根の高床式倉庫が有名。
  日本最古の銀山もこの一帯。

  小茂田(こもだ)
   小茂田浜(佐須浦) 
    元寇(蒙古襲来)の激戦地跡。
    当時対馬を治めていたのは宗氏(宗助国)。

  小茂田と北の阿連(あれ)の間は、路線バス(対馬交通)の孤立区間。厳原から予約制乗合タクシー。 

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雞知/洲藻

 雞知(けち)は旧美津島町。
  「雞」は「鶏」、「雉」が合わさったような字。

 古墳時代の中心地。
  出居塚(でいづか)古墳、根曽古墳群、
 古代対馬は対馬県主(あがたぬし)、津島県直(あがたのあたい)と呼ばれる人が治めていた。

 元寇の前、鎌倉時代前期まで対馬を治めていたのは阿比留(あびる)氏。雞知はその拠点でもあったとのこと。

 なお、奈良時代の対馬国府は南の厳原にあった。

 ちなみに宗氏は平清盛・知盛の系譜につながっているが、少弐しょうに氏配下の惟宗これむね氏のようで、
 そう言えば薩摩の島津氏(こちらは源氏の系譜)も惟宗氏つながりとみられていて、
 逆さにすると津島。
 「つしま」は津島。
 ちょっと面白いと思った。

 美津島の雞知は空の玄関口。
  対馬空港(対馬やまねこ空港)(tsushima-airport.co.jp)

 昔、空路で福岡空港から訪れた。行きも帰りも5月の天候不安定な日。事前に欠航の可能性もあると伝えられて、結局1時間遅れで飛び立った。(帰りは40分遅れ)。
 寝る間もなく着陸態勢に入ったが、対馬空港は崖の上にある。雲を抜けたら目の前に崖が迫っていて、揺れながら着陸した。高度低くないかー、激突しませんかー、とドキドキした。

 対馬グランドホテルに温泉。日帰りは真珠(たま)の湯。

白嶽

 対馬の名峰・白嶽(白岳)。標高519m。
 山頂は雄岳・雌岳の双耳峰。一帯は岩場。

 登山口は、
 ・ 北側の洲藻 ・・・ 雞知の西
 ・ 南側の上見坂(かみざか)
   上見坂は桜の名所とのこと

 上見坂の近くから白嶽展望

 雲行きが怪しかったので登らなかった(登れなかった)。
 温泉へ向かった。

浅茅湾

 旧美津島町、豊玉町。

 対馬のガイド本やパンフで最も多く見かける写真がリアス式海岸の浅茅(あそう)湾だと思う。

 湾奥部(東側)に人工の水路(運河)が2ヶ所あって、東西の海が“密かに”つながっている。
 南側の水路は大船越瀬戸。対馬空港の東。江戸時代開削。
 北側の水路は万関(まんぜき)瀬戸。こちらは明治時代開削。
 よって対馬は1つの島ではなく北側の上島と南側の下島に分けられている。
 2つの水路の間(久須保)も島と化している。

 白嶽の北に有名な古代山城・金城跡。白村江の戦い(663年)の後の667年に築かれた。

 東の入江を挟んだところ、対馬空港の北西の竹敷(たけしき)に海上自衛隊防備隊がある。

 竹敷がある半島の先が芋崎。
 江戸幕末(1861年)、ロシアに一時占拠された。ポサドニック号事件。
 イギリスの助けを得て退去に至った---。

 加志
  太祝詞(ふとのりと)神社

 浅茅湾の西、尾崎

 元(モンゴル帝国)、ロシア、
 1419年 応永の外寇
  李氏朝鮮の大軍が浅茅湾来襲
 1019年 刀伊の入寇
 シラギ(新羅)の入寇も度々。

 島だらけの長崎の中でも特に対馬は島だらけ。
 未だ完全に把握しきれていないが、有人の属島は5島。
 うち3島が浅茅湾から小船越を挟んだ鴨居瀬の沖島、赤島/泊島。
  ※ 泊島は赤島と地続き
    残る2島は島山島と北端の海栗島

 浅茅湾の北、仁位
  和多都美(わたづみ)神社(watadzumi.com/)
   広島の宮島を想い起こさせるような海中鳥居が立っている。5本並んでいるうちの2本が海中。
   祭神は豊玉姫(トヨタマビメ)と山幸彦=彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)。
   海幸彦ではない点が興味深いが、豊玉姫の父神・豊玉彦(トヨタマヒコ)が、=海神(ワタツミノ神)とされている。
   海神宮(ワタツミノカミノミヤ)、リアル龍宮城(竜宮城)。

   海の幸、山の幸。

  和多都美神社の南に神話の里自然公園。
  その南の烏帽子岳に登れば浅茅湾を一望できる。一帯は対馬随一の観光スポット。

 浅茅湾は真珠(パール)の産地。
 日本の「真珠湾」。

 湾内の定期航路、周遊観光有り。
  対馬市営渡海船 「うみさちひこ」
   仁位~卯麦~佐志賀~嵯峨~貝鮒~水崎~加志々~長板浦

   長板浦は対馬空港の西。対馬病院がある。
    かつての終点(起点)・樽ヶ浜の北。
   かつての船は「ニューとよたま」。
   貝口(水崎の北)への寄航はHPに見当たらない(なくなったみたい)。
   1日1-2往復。対馬市HPなどで時刻要確認。

島山島

 対馬空港の北に位置する有人島。

 浅茅パールブリッジから浅茅湾

奥の山は島山島の曲網代(まがらじろ)岳

 路線バス、渡海船は通っていない。
 終点・島山まで行ってみたが、誰にも会わなかった。

 島左近(さこん)の墓があった。
 訪れた時まであまり知らなかったが、関ヶ原の戦いまで石田三成を支えた武将。再三誘われて仕えた。
 魅力的な人物。

 島の島山石(砂岩)は厳原西海岸の石屋根に使われた。

 国道382号の島山島入口近く、あそうベイパークに馬がいる。日本在来馬(現存8種)の対州馬(たいしゅうば)。

三根~佐護

 旧峰町、上県町。

 三根
  弥生時代の中心地。
   三根遺跡群、
  『魏志』倭人伝の「對海国(対海国)」(=対馬国)、その時代の中心。

  ・ 峰温泉 ほたるの湯
  ・ 峰町歴史民俗資料館
  ・
  ・
  ・

 弥生時代~古墳時代までは対馬と大陸と相互に頻繁に往来があったようだが、攻防ラインはもっと北方の朝鮮半島にあった。
 7世紀、白村江の戦い - 金田城築城以降、今日の国境が攻防ラインになったとみられる。

 対馬は津々浦々様々な神々が祀られている。

 木坂
  海神神社
   こちらが対馬国一宮とされている。
   主祭神は豊玉姫(トヨタマビメ)。
   和多都美神社と同じだが、こちらの海神(かいじん)はまた別の海神であるように思える。「荒ぶる神」がちらつく
  神社一帯の木坂山(伊豆山)は野鳥の森。

 国道382号は少しずつトンネルが掘られて直線化しているようだが、三根から北はカーブの多い山道だった。
 対馬のドライバーは総じて速い。
 速いよね。
 運転しながら珍しく酔った。

 仁田湾
  仁田川が対馬最大の河川。

 途中の御岳(みたけ)で散歩。
 標高479m。パンフによると『古くは対馬最高峰と信じられていた』。
 ツシマヤマネコ生息地。
 キタタキというキツツキが(対馬で、日本で)最後に確認された場所、とある。絵を見ると腹白のクマゲラ。東南アジアに分布している。
 薄暗くて登りかけた途端雨に降られた。撤退。

 御岳の南の目保呂ダム馬事公園で、対州馬に会える。

佐護~佐須奈

 佐護は対馬最大の平野。
 こちらのほうが北の鰐浦よりもカンコク(大韓民国)に近い。
 渡り鳥たちは知っているようだ。
 バード・ウォッチャーが群がっていた。
  ヤマショウビンなどが飛来する。
 サシバ(タカの一種)がいた。

 棹崎(さおざき)公園
  日本最北西

  対馬野生生物保護センター   → 環境省 九州地方環境事務所(kyushu.env.go.jp/)
   ニャ、ニャンと開いてニャかった。

  代わりにツシマヤマネコ

  ツシマヤマネコは大昔から対馬に生息している。アムールヤマネコと近縁。
  見れなかったのは心残りだったが、ズーラシア(横浜)にもいた。

 千俵蒔(せんびょうまき)山
 井口浜

 晴れていればカンコクが見える。
 が、見えなかった。

 佐須奈
  千俵蒔山、井口浜の東。
  鎖国中の江戸時代、朝鮮半島との往来は認められていた。そのメインの玄関口。

  そば道場あがたの里
   対州そば

上対馬

 比田勝(ひたかつ)~西泊
  比田勝港は(今日の)対馬北部の玄関口。対馬第二の町。

  ここで泊まった。
  聞き慣れない言葉が飛び交っていた。
  この海の向こうがカンコクかー。

  あとで地図見たら違っていました。北九州の方角でした。

  かつて比田勝~プサン(釜山)を結んでいた対馬国際ライン「あをしお」は定員32名の国際旅客船だった。
  2000年頃からカンコクの会社の船が就航するようになった。

  殿崎
   ボーッと眺めていた海は日露(日本-ロシア)戦争の最終決戦(日本海海戦)が行われた場所でした。
   記念碑が立っている。

 三宇田(みうだ)浜
  白浜のビーチ
 上対馬温泉 渚の湯

 豊~鰐浦
  鰐浦は佐須奈とともに江戸時代、北の玄関口。
  ヒトツバタゴ群生地。訪問時ちょうど5月で白い花々が咲いていた。別名「うみてらし」。

  北の海栗(うに)島に航空自衛隊レーダー基地。一般人上陸不可。
  その北の三ツ島が最北端。
   国土地理院の地図を見ると北ノ手が最北端。

  ・ 豊砲台跡
  ・ 韓国遠望所
    晴れていればカンコクが---
    見えなかった。
  ・
  ・
  ・

  当初、鰐浦のほうがカンコクに近いと思っていた。
  プサンとの距離はたいして違わないように見えるが、
  コジェ島(巨済島)が佐護~佐須奈と相対している。

 舟志(しゅうし)
  紅葉の名所

 琴(きん)
  樹齢日本一の大イチョウ。約1500年。

その他 Link、

 空路は福岡空港と長崎空港。所要時間30分-40分程。

 船は福岡・博多から
 ・ 九州郵船
 ・ 壱岐・対馬フェリー
 ・ 対州海運
 所要時間4時間30分-5時間。

 高速船(ジェットフォイル)は九州郵船の「ヴィーナス」が博多~(壱岐)~厳原を約2時間で結んでいる。

 島内のバスは対馬交通。

 思っていた以上に対馬の南北は長い(広い)。
  ※ 南北約82km
 予定どおりには巡れなかった。

 カンコクから見ると対馬は南国。しかも対岸のプサンは大都市。
 プサン~比田勝、比田勝~厳原が同じくらいの距離。
 2000年頃からプサン~比田勝、厳原にカンコクの会社の船、高速船が就航するようになった。
 よってカンコクからの観光客が多い。
 (ウイルス禍で途絶えたが、2023年再開)

 だからと言って敬遠しちゃあいけないよ、日本人。

 日本-カンコク(日韓)トンネル構想
  対馬と大陸と近いとはいえ50km近く離れているので実現可能性は低い。
  常識があるならば、九州本土 - 壱岐 - 対馬、その後にカンコク(コジェ島)の順になるので、実現可能性は極めて低い。
  だが、金持った財団があって、対馬のみならず九州本土でもトンネル坑口が掘られている。
   対馬は南西の阿連
   九州本土は佐賀県唐津市 名護屋
  壱岐にも事務所、対馬の東の小浦や間の洲藻にも事務所、「基地」、……
  国際ハイウェイ財団は、世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)の関連団体。

 今、高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定の第一段階「文献調査」受け入れの動きがある。9月中に対馬市長が判断とのこと。
  追)9月27日 市長(比田勝さん) 「文献調査」受け入れないと表明。

 基地周辺の土地が買われたり、
 異国の漂流ゴミが大量に流れ着いたり、
 窃盗団が仏像盗んでいったり、
 ……

 対馬の人は昔も今も忍耐強い。
 義を感じる。
 あまり騒ぐこともないから、問題が表面化した時には既に切迫している可能性もある。

 辺境の離島ぐらいにしか思っていない人にこそ一度は訪れて長さ(広さ)を実感してほしいと思う。
 島も多いし、日本列島の縮図のように思えてくる。

 対馬は自然が豊かで、歴史は深い。
 日本の国家、文の始まりも近畿から九州ではなく、九州から近畿、対馬から九州に流れている。
 辺境の離島どころかヤマトの国の中枢・ワニさんと関係している。

 神々の島、ヤマト魂(大和魂)宿る島で、
 古今の防人について学べる。
 修学旅行先にもピッタリ。

 Linkいろいろ
  対馬 Tsushima

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ふシゼン
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