鎌倉駅から少し離れているが、東に衣張山(きぬばりやま)ハイキングコースがある。
歩いたのは数年前の2月。ウイルス禍 + 台風の後で鎌倉のハイキングコースが悉く通行止だった時。ここは通行できた。
知名度は源氏山などに比べると低いかもしれないが、思いのほか展望が良かった。
犬懸ヶ谷から
二階堂周辺を歩き回った後にアップしよう、と思っていたが、まだ行けていない。
ひとまず、その二階堂の杉本寺(杉本観音)を目指す。
金沢街道(金沢鎌倉線 14-204)沿いにある。
杉本寺から南へ犬懸(いぬかけ)橋を渡って、川(滑川)沿い・道なりに直進。
田楽辻子(でんがくづし)のみちとの交差路も直進、川から離れる。
行き止まりっぽかったが、たまたま住民の方が外に出ていて、「通れますっ」ということで、安心して登れた。

倒木またいで……。
このハイキングコースは別名「平成巡礼道」。
杉本寺が坂東三十三観音 第1番札所で、衣張山を越えた先の逗子市に第2番札所 岩殿寺(岩殿観音)がある。
坂東三十三観音 公式サイト(bandou.gr.jp/)
東隣の報国寺から南へ向かうコースもある。そちらは「巡礼古道」。
谷筋の上の道
通ってきた道は犬懸ヶ谷。「巡礼古道」のほうは宅間ヶ谷。
室町~戦国時代、扇ヶ谷(扇谷)の上杉氏と山ノ内(山内)の上杉氏が互いに争うが、当初は犬懸(いぬがけ)上杉氏と宅間上杉氏も関東管領(かんれい)を輩出した。
関東管領:鎌倉府の長官・鎌倉公方(くぼう)(足利氏)を補佐。代々上杉氏。関東管領と鎌倉公方が対立したり、鎌倉公方が室町将軍(足利氏)と対立したり、関東管領が分裂して、鎌倉公方が分裂して、……関東戦国
通ってきた道、田楽辻子のみちとの交差路に上杉朝宗(ともむね)・氏憲(うじのり)邸跡。犬懸上杉氏、関東管領。
氏憲=禅秀。1416年、上杉禅秀の乱。鎌倉公方・足利持氏と対立。犬懸上杉氏衰退。
衣張山登山
久々の山登りで息切れ、動悸。
▼ 山頂手前の双体道祖神

石切り場跡があったようだが、気づかず通過。
登山口から約15分で山頂。
見晴らしの良いピークが2つある。奥(後)の方が三角点で衣張山のピークと思っていたが、手前(前)のほうが高かった。
参考)三浦半島日和 衣張山(miurahantou.jp/kinubariyama/)によると手前が北峰(標高121m)、奥が南峰(標高120m)
▼ 北峰ピーク

▼ 北峰から富士山

富士山の右の山塊は丹沢山地。富士山の左は箱根の山々。
▼ 北峰から鎌倉市街

半島のように見える稲村ヶ崎。
衣張山の南峰は浅間山という名があるよう。
▼ 南峰からの展望

一説によると、夏の日に源頼朝・北条政子が山に衣(絹)を張って(掛けて)雪に見立てて涼んだ ⇒ 衣張山。
京都の衣笠山の由来に似ているとのこと。
平安時代、宇多天皇が夏の日に雪が見たいと言ったとか。
どちらも葬送の地。
西の大町から南峰ピークに至るルートがあったようだが、これまた気づかず。
ピークから下って「巡礼古道」(報国寺からの道)と合流。
周回することもできる。
期せずして広場に出た。

一帯は浄明寺緑地。
あれっ、住宅街に出た。鎌倉逗子ハイランド。
- 杉本寺 - 犬懸ヶ谷 - 衣張山 - 鎌倉逗子ハイランド
- 報国寺入口 - 報国寺/宅間ヶ谷 - 鎌倉逗子ハイランド
つづく




