国立科学博物館(東京・上野)巡回中、港川人と土井ヶ浜人に出会ったので、今回は古代の話。

右が旧石器時代の港川人(沖縄県)、左が弥生時代の土井ヶ浜人(山口県)。
真ん中は若海貝塚(茨城県)の縄文人。茨城県行方(なめがた)。
港川人については以前触れたが、
旧石器人・縄文人も存外多様だったよう。
『縄文人の起源に関してはいまだに不明の部分が多い』という説明。
今回はひとまず縄文人をひとくくりにして---。
渡来系弥生人
大陸から日本列島への渡来人が目立つようになった弥生時代~古墳時代、九州・四国・本州で先住の縄文人と混血するなどして和人(ヤマト人)になった。
「二重構造モデル」。
1990年、埴原和郎氏提唱。のち概ね実証
近年、古代人のゲノム解析も進んで、2021年に「三重構造モデル」が提唱された。
パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造
国際共同研究(doi.org/10.1126/sciadv.abh2419)
金沢大学HP(www.kanazawa-u.ac.jp/rd/96414/)など
弥生時代に北東アジア起源の集団、古墳時代に東アジア起源の集団がそれぞれ渡来して、日本人の祖先ができあがった---。
ただ、弥生時代に東アジアからの渡来がない(乏しい)という点に無理があるように思えた。
このゲノム解析に用いられた縄文時代の遺跡は7ヶ所あるが、弥生時代は1ヶ所、古墳時代は1ヶ所で、
弥生中期の下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保)の人骨は縄文色が濃い。
渡来人の通り道でなかったか、あるいは縄文人似の渡来人だったか
2024年に「三重構造モデル」は支持されないという研究報告。
弥生時代人の古代ゲノム解析から渡来人のルーツを探る
東京大学HP(www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/10527/)など
より現代日本人に近い土井ヶ浜人(山口県下関市豊北町)のゲノム解析。約2300年前。
既に北東アジア系・東アジア系両成分併せ持っている。東アジア系成分を多く含んでいる。
日本列島に渡来する前から北東アジアと東アジアの間で交雑が進んでいた。
・ 日本人のゲノム成分が縄文系・北東アジア系・東アジア系の「三重構造」になっている
・ 古墳時代にも渡来人がいた
ことは確かだが、
日本人の祖先ができあがったのは従来(「二重構造モデル」)どおり弥生時代に遡る。読み違えないよう注意が必要。
▼ 『渡来人はどこから来たのか』(国立科学博物館)

『渡来系弥生人と呼ばれる人々の源郷が大陸のどこにあるのかは、現在のところ確定してはいない』という説明。
北東アジアのほうは以前(2021年)のニュースで、
日本人の原郷(源郷)の1つは遼河(りょうが)西部
とあった。
弥生時代よりも前、3000年前以前の東アジア(黄河~長江の文化圏)~北東アジアの交雑に関しては、大陸の歴史、古代中国の歴史の範疇。



