前回の続き。
写真が多くなったので、もう1ページ分けた。
阿夫利神社 下社
女坂と男坂の合流点からあと少し階段上り詰めれば阿夫利神社(www.afuri.or.jp/) 下社(しもしゃ)。

ケーブルカー乗ってきた人も合流して人いっぱい。
茶屋はさくらや、kurumi(クルミ)。
ルーメソ(ラーメン)、おでん、おそば・うどん、HOT DOG、……。

階段途中、手水舎向かいの参集殿も食堂。
11月、ZUND-BAR らーめんAFURI(厚木・七沢)が出張営業。
▼ 階段上から伊勢原市街

▼ 下社 拝殿参拝

境内に茶寮石尊 Saryo Sekison。好展望のテラスあり。
もみじ祭りで、もみじ汁(豚汁)。
確か水を汲めるところがあったはずだが(手水舎ではなく)……
下りの途中で思い出して再び階段上り返す。
拝殿の右手に入口がありました。

▼ 神泉 大山名水

「高龗神(タカオカミノ神)」
さらに奥の地下道に
さざれ石、
木の納太刀、
ぼけ封じの守護神 双体道祖神・和合神像、
お燈明。
▼ 空飛んで来た獅子たち。「大山獅子」

獅子はてっぺんにも2頭いて、父・母・若・子4頭。
一周ぐるりと十二支。今年は巳、来年は午。
「日本三大獅子山・坂東三獅子」の説明によると江戸時代、人々は太刀、狛犬、燈篭などを競って奉納し、その中には親子獅子像(獅子山)もあったが、明治期の災害や関東大震災の山津波で損壊・流失してしまった---。
平成24年(2012年)皇太子殿下(今上天皇)大山御登拝を記念して復元再興。
ヘリコプターで運ばれてきた。
あと2つはどこかな?
隣に「国学の祖 権田直助翁の像」。
平田篤胤に学んだ。
▼ 拝殿の左手に像、合格祈願 天満宮(菅原社)

少年よ、「輝け杉の子 川崎市学童疎開四十周年記念像」。
拝殿の左手最奥に登山道(本坂)入口となる登拝門。急な長い階段が見える。

門に「奉納 東京日本橋 お花講」とある。
今は年中開いているが、江戸時代は夏の一時期のみ入れた。長らく日本橋の大山講・お花講(奉幣講)が鍵を保有して管理していたとのこと。今も7月、山開きの日に開門の儀(開扉祭)が行われる。
下社は標高約700m。
下社から本社(本殿)がある大山山頂(標高1252m)まで登りコースタイム90分。下り60分。
大山寺
女坂の途中にある大山寺はケーブルカーでも立ち寄れる。
大山寺(大山不動尊)(oyamadera.jp/)
最寄の駅 大山寺
本堂に至る石段など大山寺周辺は紅葉の名所。もみじ祭りの最中。色鮮やか。
急な長い石段に圧倒されて登りはスルー。
▼ 行き(登り) 大山寺駅分岐付近

▼ 帰り(下り) 大山寺の上の無明(むみょう)橋

山寒し 心の底や 水の月 芭蕉
謎めいたトンネルが見えるが、大山寺まで(参道とは別の)道(阿夫利林道)が通っている。トンネルは林道終点・阿夫利隧道。
無明橋は女坂七不思議の一。
『話をしながら通ると……悪い事が起きたりするという。』
あっ、トンネルだーとか話すとアウト。
大山寺境内へ。なぜかいつも裏手から。
大山寺を開山(755年)した良弁は、奈良の東大寺を開いた僧。
西の大日堂(蓑毛)、東の日向薬師も奈良時代創建。
大山寺3代目住職は弘法大師(空海)。弘法水が女坂七不思議の一。南方に弘法山もある。
大山周辺には古代から神々人々が集まり、
鎌倉以前、仏教の一大拠点。
神仏習合、そして、神仏分離。
大山寺はかつて阿夫利神社 下社のところにあった。
HPによると『明治初年 権田直助にひきいられ、……神仏分離ならびに廃仏毀釈の激しい弾圧により、本堂伽藍をことごとく破壊される』
下社境内に「座っている」人は大山寺からみると「破壊者」
もみじ祭りでご本尊の鉄不動明王ご開帳。
鉄製仏像。鎌倉時代、願行上人作。鎌倉のタタラ場で作られたものらしい。
まんじゅう補給。「厄除幻の酒まんじゅう」。
休憩。

左は宝篋印塔。青銅製。江戸時代建造。壊されたが再建。
隣で厄除かわらけ投げ。
奥に池・倶利伽羅の滝。コイが泳いでいる。
時折、鐘の音が山中に響き渡る。
▼ 本堂、急な石段

手ブレならぬ足ブレ。
2日後筋肉痛ピーク。



